3.11 東北関東大震災

地震と津波の被害を受けた方々に、心からのお見舞いを申し上げます。

3月11日、午後2時46分、私は九十九里町の作田という海岸に近いところへ配達に行っていて伝票を書いている時だった。最初はゆるやかな揺れだったがだんだんと揺れが大きくなり、これはヤバいと感じた。車のラジオをつけ、車にしがみついてラジオの情報を聴いていた。揺れはどんどん大きくなりなかなかおさまらない。お店の人もみんな外へ出て来た。二階建ての和風の家がかなり大きく揺れているのがはっきりわかった。私の家と同じような造りだったので心配だったがなにしろ揺れがおさまるまでは何もできなかった。揺れが止まってからは自分の家が心配だったので集金は後にして、とにかく家へ戻った。家へ戻り様子を見たが、思った程のことはなく安心した。そして2回目の地震がきた。前ほどではなかったがかなり大きかった。
停電になり、テレビは見られないから携帯でニュースを見たら信じられない光景が・・・。
その晩はローソクの灯りとラジオだけが頼りで翌朝5時頃電気が復旧するまでラジオを聴きながら起きていた。東北の方はどうなっているのだろうか?その答えはあまりにも残酷なものだった。

九十九里片貝漁港にも津波の被害がでた。
川を逆流して橋にぶつかって止まっていた
砂運搬船。横倒しになって壊れてうちあげら
れた漁船。転覆した漁船。浸水した家をかた
づけている人たちもいました。
東北の被害とくらべる事は意味がないことだ
けれど、・・・・・。



藤の花

4月28日 2月に剪定した藤棚の今の様子です。季節はちゃんといつもどおりに移り変わって行きます。こちらは田植えも始まり、田んぼでは今、カエルの合唱がはじまっています。今日の気温は25度近くまで上がりました。


陸前高田 友との再会

4月25日 陸前高田
支援物資として調味料が不足しているということだったので、お酢を3ケースほど用意して行った。
災害本部支援物資受付にて確認後、受け取ってもらえることになり、まずは少しだけ役にたてたかな。避難場所での食事がどんなものかはわからないが、酢の物は体に良いので出来るだけ多くとってもらいたいものです。その後、電話で友に連絡をとり、10年ぶりに再会した。とにかく無事で良かったと言うしかない。ほとんどの人が家族・家を失い避難生活をしている。テレビや新聞の報道ではわからない様々な問題を抱えていること、問題も人それぞれに違っていて複雑で本当に大変な事態になっているんだと知らされた。避難所で他にも何人かの同級生に出会えた。この中学校に入学して1年生の時、机が隣だった小さくて可愛かった?女の子だった人。(はじめて文通をしたんです。)保育園に一緒にオート3輪車(ミゼット)で通った幼なじみ。中学で同じ野球部だった友達。等。こんな状況でしか会えなかったことが残念でなりません。


AID TAKATA

4月16日 NHKのニュースで「岩手・陸前高田の復興に力を AID TAKATA」というフォーラムが開催された という報道をみた。在京および関東に住む陸前高田出身者で組織され復興に向け支援団体として活動するとのこと。毎日、モヤモヤとしていた私もこれで何かができそうだと思っている。 2日前、避難生活をしている友人から電話があった。小学校の同級生が2人犠牲になったと、ま だ行方のわからない人が大勢いると聞かされた。すごいから見に来た方がいいとも言っていた。 そうなのだ、現実を見ていないからわからないことがまだまだあるんだろう。必ず近いうちに行ってみようという決心がついた。


東日本大震災

4月1日 3週間が経ちました。死者、行方不明者の数を報道で知る度、何とも言えない気持ちになります。岩手県陸前高田市や大船渡市の死者、行方不明者の中には少なからず私の小・中・高校の同級生がいると思われます。親しい友人の一人とは連絡がつき安心しましたが、連絡がとれず無事かどうかもわからない(わかるのが怖いという気持ちもあり、心配だけしている状態と言っても良い。)
テレビに避難場所である高田第一中学校(私が入学した)が何度も出てくる。先の友人もそこで避難生活をしている。どんなに大変だろうか・・・。こちらはほとんど普段の生活に戻っているといって良い
だろう。しかし、何もできないままで、これで良いのか。ただの傍観者になっていくんじゃないか。ひとりで考えていても何もできないんです。
陸前高田市、大船渡市あるいはその近隣出身で東金市近くにお住まいの方がいらっしゃいましたら、ご連絡ください。


秋です。落花生が実りました。

10月2日  いつの間にか10月に入っていました。今日は落花生の掘り起こしをしました。 5月に植えて暑い夏をのりきり、一粒のマメからどのくらい実がついているのか楽しみです。 しかし、この作業が重労働でありまして、機械で掘り起こせば速いし楽ですが、ウチには機械が 無いので人力でやらなければなりません。私が鋤で掘り起こし、おばあちゃんが土を落として、 ひっくり返していきます。毎年やっているんですが、疲れるし正直嫌になってしまいます。


「震災で描けなくなった画家」 陸前高田より

11月8日 テレビ朝日「スーパー J チャンネル」みました。1日放送が延びると悦太郎くんから知らせがありました。夕方の番組なのでリアルタイムはチョときついかなと・・・、しかしREGZAがあれば安心。しっかり録画予約をしてそわそわしながら仕事をしておりました。6時頃、おばあちゃんがテレビを見ていて、始まりそうだと教えてくれたので見逃さずにすみました。感謝。

髭も剃ってさっぱりしたね。とても感激しました。希望と勇気をあたえられる
作品を描き続けてください。応援しています。


appleが好きです。


鷺 悦太郎クンから連絡がありました。

11月4日  今日、陸前高田に住む友人の(4月に会いに行った)悦太郎くんから電話がありました。彼は東日本大震災の被災者ですべてを津波で流され避難生活を強いられながらも、今年の第43回日展に入選しました。その関係で東京まで来たがすぐに帰らなければならないとのこと。4月に再会した時には体育館で生活していたのです。その後の様子はくわしくは知りませんでしたが、彼なりに色々活動していたようで、調べてみました。かなり有名になっていて7日のテレ朝「スーパーJチャンネル」で放送されるということで、楽しみにしています。いろいろ記事に載っているので紹介します。


第43回 日展入選 「路」 被災後の作品です


九十九里片貝漁港 イワシの水揚げの様子

12月23日 天皇誕生日  冬至も過ぎ、今日はとても寒い日でした。九十九里地方では今、イワシ漁が最盛期です。 獲れたての新鮮な「セグロイワシ」をお酢・ショウガ・胡麻・唐辛子などを使って作る「胡麻漬け」の季節なのです。この時期はお酢の販売量がイワシの漁獲量に大きく影響してきます。 獲れれば良いというのでもありません。イワシの大きさも重要で、小さくてもダメ、大きすぎてもあまり美味しくない、胡麻漬けに適した大きさのイワシがあがらないと困ってしまうのです。 今日は良いイワシがあがったと聞いたので、漁港に行って様子を見てきました。